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シーズ・ブログ
2014.10.22
復興ボランティアに参加しました(その2)。
今日は前回の続き「復興ボランティアに参加しました」のその2をお送りします。
◆ボランティア2日目
この日は、被災地で長くボランティア活動をしているSさんという方に受付場所まで送っていただきました。この方は、姫路からボランティアのためにこちらに移動してきたすごい人です。昨日も色々な話を聞かせてもらったり、車で仮設住宅を利用した油そば屋さんに連れて行ってくれました。
筋肉痛でふらふらしながらボランティアの受付場所に着くと、高校生くらいの女の子がいました。その子も被災者の一人で、昨日ビデオを見せてくれた方の娘さんでした。作業が割り振られるまで、私はその子とひまわりの種取りをすることになりました。
種取りをしながら、女の子は被災時の話をしてくれました。
「あの時、お父さんが閖上にいてね。3日も連絡なかったから、流石に死んじゃったかなーって。でも3日建ってから無事だって連絡があって、よかったって思ったよ。」
「夜ご飯がバナナしかなくて、その時はお姉ちゃんと喧嘩したなあ。」
辛い思い出を話すというより、『いやーあの時は大変だった』というような口調で話す女の子は、年下なのに私よりずっとしっかり生きている印象を受けました。
ひまわりの種を取り終えた後、Sさんに女の子と一緒に閖上の海岸に連れて行ってもらえることになりました。曰く、今日のボランティアは貝殻と瓦礫で、宅地跡地を飾り付けるものらしいです。
閖上の海岸にはおそらく津波の影響か、色々なものが転がっていました。それでも、何年かぶりに海岸へ来れたという女の子は嬉しそうにはしゃいでいました。
海岸でお昼ご飯を食べてひとしきり貝殻を拾った後、受付場所近くの在宅跡地に向かいました。土を耕した後、「どのような形に飾り付けようか」と、Sさんと話し合います。
「ハート型や星型なんかは作りやすそうだね」
「クローバーも幸せを願っていていいね」
「北海道から来たんだし北海道の形にしたらどうだろう」
「どうせなら日本地図の形にしよう、そして来てもらった人に目印を残してもらおう」
相談の結果、Sさんと二人で瓦礫と貝殻を使って日本地図と国旗を作ることになりました。スマートフォンでマップを開いては、地面と見比べて瓦礫を並べていきます。瓦礫が足りなくなったら、Sさんが隣にあった瓦礫を一輪車で運んできてくれました。
数時間後、不恰好な日本地図が完成しました。
「もしこれから来た人がこの日本地図に文句があるなら、その人に気になるところを修正してもらえばいい。そしたらそのうち立派な日本地図になるよ。面白いじゃないか、そういうのも。」Sさんは笑って、ペンと綺麗な瓦礫を渡してくれました。
最後に日本地図の札幌の場所に、復興へのメッセージを書いた瓦礫を置いて、今日の作業は完了しました。
作業が終わった後、ホテルまでSさんに送ってもらうことになりました。Sさんは「おじいさんがいたから連れて行ってやる」と、とある住宅跡地に向かいました。
「おじいさん」とは、昨日Sさんに聞いた被災者の一人でした。その方は、被災により家と奥さん、奥さんの妹さんを失ってから、ずっと自分の住宅跡地の草むしりをしている人でした。
「(避難所にいる人達が)自分の家だった場所に雑草が生い茂ってるのを見ると、なんともいえない気分になるんだと。」「他の人は市に自分の家の土地を売ってしまったけど、俺は嫌でなあ。」
おじいさんはすごく仕事熱心で、奥さんが大好きな方でした。私とSさんは、しばらくおじいさんと話をしていました。
おじいさんと話して車に戻った後、「ボランティアはどうだった?」とSさんに聞かれました。私は、昨日の疑問を思い出しながらちょっとずつ答えました。
「私は最初、ボランティアという言葉を少し硬く感じていました。ボランティアというものがなんだか分からなくなったりもしました。でも、上手く言えないんですけど、隣の人が困ってる時にちょっと助けるのとそんなに変わらないんですね。何かしたいと思ったから、何かする。それだけなんだと思いました。」
すると、Sさんはこう言ってくれました。
「それも正解だと思うよ。ボランティアには災害ボランティアと復興ボランティアがある。災害ボランティアは被災地をまず人が住める状態に戻すこと、復興ボランティアは被災地でお金を稼げるようにしたり、被災者の心のケアをしたりと、人が『住みたい』と思えるようにすること。難しいことじゃない。昨日今日で色んな人と話したことも、立派なボランティアなんだよ。」
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2回にわたり復興ボランティアのレポートお送りしました。
東日本大震災から3年以上も経つ現在でも、まだまだ深い爪痕は消えていない東北地区。その東北地区の復興には継続した支援が不可欠です。それはきっと大げさなことではなく、日々の小さな心がけからできる支援もあるはずです。
今回、現地へ趣き農地復興作業というボランティア活動をしましたが、皆さんが今いる場所でもできる小さな支援を考えてみませんか。