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シーズ・ブログ
2015.11.02
復興ボランティアに参加しました(その1)
9月の始め、今年で4年目の活動になる東日本大震災ボランティアに参加しました。
今年は、特定非営利活動法人 遠野まごころネットさんの活動に同行する形で復興ボランティアに参加しました。参加者は2年目のKさん。被害が甚大だった陸前高田市への視察に同行させて頂きました。震災を忘れないために現状をレポートするのも、復興への活動の一つです。
まずは、遠野まごころネット(通称まごネット)さんについて説明します。
遠野まごころネットは、平成23年3月11日に発生した東日本大震災で被災した岩手県沿岸部の被災者の方々を支援するべく、遠野市民を中心として結成された被災地支援団体です。沿岸地域への移動時間が1時間という遠野市の地の利を活かし、全国各地からのボランティアや支援物資等を受付けます。(公式HP http://tonomagokoro.net/about より引用)
震災から4年たった今、まごネットさんは各地からのボランティア受け入れと派遣の他、被災地の現状を知ってもらうための活動も行われています。
その活動の一つである陸前高田方面の視察に参加した様子をレポートします。
陸前高田市の現状
被害の甚大だった陸前高田市へ入ると景色ががらっと変わり、今もなお復興への工事が行われていました。ここは、かつて7万本の松林のあった観光名所でした。形を保っている建造物はそのまま残されていました。震災の起きたその日、津波が来ることを伝える防災無線は「津波の高さは3m」という情報が最後だったそうです。
かさあげ工事・防潮堤整備の行われている陸前高田市沿岸部。
山を切り崩した土砂を、張り巡らされたベルトコンベアーで運び、津波対策のかさあげを行う工事が行われている。
残った建造物に震災時の津波の高さが表記されている。
海沿いに立つ道の駅「タピック45」。写真中央の赤い線が当時の津波の高さ。
「タピック45」内部の様子。
根がむき出しのなぎ倒された松の木。
そばには「復興まちづくり情報館」が立てられており、震災以前の写真を含め復興への資料を閲覧することができました。
震災以前の「タピック45」の資料。
7万本の松の木の多くがなぎ倒されてしまった高田松原ですが、そのうちの一本が奇跡的に生き残りました。奇跡の一本松と呼ばれ、復興のシンボルとして見学することができます。
工事現場の中に立つ「奇跡の一本松」(写真中央)。
震災以前・以後の高田松原の様子の資料。
実はこの松は、金属製の心棒を入れる処理や、避雷針の設置等、保存のための処理が施されています。保存作業に多額の予算がかかっていること、住宅再建がままならぬ状態であることから、保存するか否か、賛否両論が巻き起こったということでした。
「奇跡の一本松」の保存作業の様子の資料。
(その2に続く)